映画『バケモノの子』

〜The boy and the beast〜

2015年8月2日

映画『バケモノの子』の写真

『バケモノの子」という映画を見ました。


随所に笑いがあるエンターテイメント作品であると同時に一時期の宮崎駿監督の作品のように子供も大人もそれぞれに何かを感じる作品になっています。


子供と過ごす夏休みを通して親子関係を考えるいいきっかけになる映画であると同時に人としてどう生きるべきかを考えさせる映画だと思います。


細田守監督について

この映画の監督である細田守監督は、子供がおられない方には馴染みが少ないかもしれませんが宮崎駿が引退した今となっては日本のアニメ界を背負っていくのはこの監督ではないかと思います。


細田守監督の有名な作品といえば「時をかける少女」、「サマーウォーズ」、「おおかみこどもの雨と雪」がありますが、作品を追うごとに映像の美しさが増していくと同時に今の時代を生きる我々が忘れかけていることであったり、大切にすべきことであったり、強い共感を生み出す作品となっているように私は感じます。


『バケモノの子』のあらすじ

『バケモノの子』は、9歳のときに一人ぼっちになった男の子「九太」と、強いけれど自分勝手で一人ぼっちのバケモノ「熊徹」がバケモノの世界で共に過ごす日々の中で本当の親子にも負けない強い絆を築いていく物語です。


個人的に感じるこの映画のキーワードは「親子関係」とそこから子供の心の中に生まれる「闇」ではないかと思います。


主人公の男の子「九太」は、両親が離婚し、さらに一緒に住んでいた母親も失い一人ぼっちになり大きな「心の闇」抱えながらもバケモノの世界で「熊徹」やその仲間に温かく見守られながらたくましく育っていきます。


同じようにバケモノの世界で育った人間である「一郎彦」はバケモノの世界で人望が厚い「猪王山」により育てられるが、人間であるにもかかわらずバケモノの子として育てられたため成長とともに自分が何者かわからなくなり心の中に闇を抱えていく。


また、人間界で知り合った「楓」という都会の女子高生は、何不自由なく育つが両親の期待に応えるために生きている自分の存在がなんなのかわからなくなり、心に闇を抱えながらも、それに耐えながら生きている。


そんな多様な親子関係を見ていると子供は誰が育てるのだろうかと考えさせられると同時に、自分本位が人が多いけれど多様な人間がいる社会であるからこそ様々な役割を持った人間がいる社会全体で子供を育てる新たな可能性を感じます。

また、一人の親として感じることは、自分を偽って生きることで自分で自分の心の中に「闇」を生み出し、その「闇」が産み出す自分本位な言動が簡単に子供の心を傷つけ、心に「闇」を生み出していくということ。同時に一人の親として自分の子供の心の闇を埋めるためには、喧嘩をしようとなんであろうと偽りのない素の自分でまっすぐに向き合い、出来る限り長い時間を共に過ごすしかないというということ。


また、こんな社会であるからこそ誰でも心の中に「闇」を持つ可能性があり、その「闇」は周囲の人の自分本位の言動により作られると同時に自己犠牲から生まれるやさしさと心からの思いやりにより埋められるということ。


自分本位な行動を取る人は、自分自身の心にも「闇」を持っており、その「闇」が生み出す「自分本位な言動」でさらに多くの人の心に「闇」を量産していく。やさしさと思いやりにより心の「闇」を埋めてもらった人は、自分と同じように心に「闇」を持つ人の「闇」を埋めるべく精一杯の思いやりを持ってその人に接することで「闇」を埋めていく。


家族であろうと他人であろうと「闇」を「作り出す」のも「埋める」のも同じ人間であること。

「闇」を埋めるより生み出す方が圧倒的に簡単であるため、「闇」が生み出されるスピードに埋めるスピードが追いつかず「闇」を抱えながらもそれに耐え、いきている人がとても多い社会であるということ。


そんな社会の中で自分はどう生きるべきだろうか。


私は同じ生きるなら誰かの心に「闇」を作り出すのではなく埋める人になりたい。

目の前にいる家族一人一人に対して楽しい時も辛い時も悔しい時もどんなときも共に過ごし素の自分でまっすぐに向き合っていきたい。

また、自分の家族以外の人に対してもその人の幸せを思い、精一杯の思いやりを持って接していきたい。

誰にでも素の自分でまっすぐに向き合える自分を偽らない強い自分でいたい。


そんな生き方をしたいと感じさせる映画でした。


なお、映画「バケモノの子」の詳しい情報や制作背景、監督の思いなどはこちらのオフィシャルサイトをどうぞ。